テセウスの軽自動車

テセウスの船」というパラドックスがあるそうです。

ウィキペディアによると、

ある物体のすべての構成要素(部品)が置き換えられたとき、

基本的に同じである(同一性=アイデンティティと言えるのか

という問題である、とのこと。

 

いくつかのパーツでできている物について、各パーツを順次交換していき、

結果的にもともとあったパーツがすべてなくなった(=すべて新しいパーツに替わった)としても、

その物は依然として「元の物と同じである」と言って良いのか?

ということだと思います。

 

この話を知って、ふと思い出したのが、

私が初めて買った車(軽自動車)のことでした。

 

その車に乗っているとき、何回か物損事故がありました。

別の車に追突して、フロントグリル、ボンネット、フロントガラスを交換。

トラックに当て逃げされて、右のドアや右前部分を交換。

駐車場内での接触で、左のドアを交換。

 

そのとき、「この車は、買ったときに比べると、かなり別物になってしまったな」

と思っていた私。

それはつまり、テセウスの船」の途中段階だったのだと気がついた。

 

結局、その車は、「テセウスの船」(=すべての部品交換)には至らず、

新車を購入したときに下取りに出しました。

後日、街中でその車を偶然目撃し(ナンバーが同じだったので分かった)、

「持ち主さえも変わったけど、あの車はまだ頑張ってるんだなあ」と思いましたが、

その時、車のアイデンティティは更に崩壊していたのかもしれません。

 

なお、同じウィキペディアによると、

「自動車の場合、日本では車台番号の打刻されたフレーム

法的にはアイデンティティを規定する」とのことです。

じゃあ、あの軽自動車のアイデンティティは崩壊していなかったんですね。

良かった、良かった。